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2016年1月4日月曜日

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)-中村 文則

こういう本を書くのは難しい。とはいえ、やっぱりこの本には「何かの二番煎じ」という印象しかもてなかった。確かに話のプロットにはとても引き込まれるし、凄い閉塞感を感じさせてくれる小説ではあった。だけど、なんだか露骨すぎるがゆえにリアリティーを感じなかった。あくまで空想、あくまで物語、現実味を帯びて自分に迫ってくるものはなかった。

だいたいテキストを太字にするのってどうなんだろう。保守的と言われるかもしれないけど、インパクトを与えたい部分を太字にするなんていう小細工を使って恥ずかしくないのだろうか、悔しくないのだろうか、と思ってしまった。本文を太字にするなんていうのは、語尾に♪をつけたり、顔文字を多用する携帯小説の技法の何も変わらない気がする。本文の中で芸術について熱く述べられている部分があるけど、文学という芸術にはそんな誤魔化しなしに挑んでほしかった。 

全体的に読みにくく、誰がどの台詞を言っているのかを把握するまでに時間がかかったりでイライラした。もう中村文則の本は読まないだろう。 

とは言え、本文の中で語られている「マスコミが騒げば死刑」「騒がなければ無期懲役」の話なんていうのは考えさせられる。僕が最も共感した人物は刑務所の主任だった。死刑制度を絶対的で明瞭なものにしたいけれども、死刑なんてものは人間が扱える代物ではなく、矛盾ができてしまう、そういうところに苦しんでいる主任にはなんとなく共感できる気がする。「こんなことのために柔道をやってきたわけじゃない」っていう部分が一番好きかも知れない。

自殺した真下のノートに書いてあるような感情は、誰もが一度は抱くと信じたい。でもそれは、大人になるにつれて、この世界になじむにつれて忘れていく。誰かが、ああいうノートに何かを嘆いていても昔のことなんてとっくに忘れて「思春期」「反抗期」「中二病」って言葉で片付けちゃうのではないだろうか。それがまた真下のような人を傷つけていく。 

又吉の紹介が帯にあったから買ってみたけれども、やっぱり好みは人それぞれなんだろうな。又吉の解説もおもしろかったけど、最後の一文でなんだか急に陳腐になってしまって残念。本のあらすじには「生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説」とあるけれども、真摯というよりは「露骨に向き合った小説」というのが正しいのではないだろうか。


何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)
中村 文則
集英社 (2012-02-17)
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