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2016年3月26日土曜日

物理学科の4年間


大学を卒業した。濃い4年間だった。

物理学科に入る最初のきっかけになったのは、小学校6年生のときに塾の帰り道に買ったナツメ社の図解雑学シリーズ「時間論」っていう本だったと思う。もともと理科や算数が好きで、NHKのドキュメンタリーを見て宇宙とか天体に興味を持ってたからこそこの本を手に取ったんだと思う。普通は小学生がこんな本読まないよね。

図解雑学 時間論 (図解雑学シリーズ)
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「時間論」っていう本は、相対性理論だとかエントロピーだとかを易しく説明したもの。絵が多いので読みやすかったけど、やっぱり小学生の自分にはなかなか難しくて、ルーズリーフで、大事なところをノートにとりながら熟読した。

この本が科学的にちゃんとした本なのかどうかとは別に、この本がきっかけで物理学に興味をもったのは事実だと思う。今思えば、「宇宙」とか「次元」とか、そういう言葉がかっこよく感じて、クラスメートに得意な顔して知ったかぶりをしたかったていう不純な気持ちもあったと思う。

「時間論」をきっかけに、宇宙や素粒子の本を結構読んだ。同じ図解雑学シリーズの本とか、ニュートンとかも読みはじめていた。中学生の時には、ブライアングリーンの『エレガントな宇宙』を読んだ。その内容をまとめて自由研究として提出したら、クラス全員の前で先生に凄く褒められたのをよく覚えている。本の内容をまとめただけで良い評価が出るなんていま思えば不思議だけど、そのころは嬉しかった。中学生のときは高校化学の本とかもちょくちょく読んでた。

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する
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小学生のときの夢は宇宙飛行士だったけど、そういう本にふれているうちに将来の夢は「理論物理学者」になっていった。とはいえ、学校の成績は悪くはないけど、とびぬけていい方でもなく、学者を目指すなら勉強しなきゃってことで学校の5教科を真面目に勉強しはじめた。けれども高校受験には間に合わず、第二志望の私立の高校に進学。

物理学は大学に入ってから思いっきり学べばいいから、今は受験勉強に専念しようと思って高校3年間はひたすら学校の勉強をやってた。その甲斐あってか、第一志望の大学には受からなかったけど、そこそこの大学に進学できた。高校の物理が全然できなかったから、高校の先生には「君は物理なんかむいてない!」と言われてたけど、「大学に行けば物理はもっと楽しくなるはずだ!」っていう変な思い込みがあって、反対をおしきって物理学科に進学した。本当にいい決断だったと思う。

浪人しようかなとも思ったけど、3年間みっちり勉強してたから浪人しても伸びないと思ったし、なによりはやく物理をやりたくて現役で大学に進学した。

大学にはいってからは、よっしゃ物理をやろう、そのために数学をやろう。でも、せっかく大学に入ったのだから専門バカになっちゃだめだなとか思いつつ、1年生のうちはデューイとか、ショウペンハウエルとか、ベッカリーアとか読んでた。かっこつけたくて岩波文庫ばっかり読んでたけど、それがきっかけで読書の楽しさも知って、結果的には4年間で200冊も本を読めた。デカルトの「方法序説」とか読んでも何も頭に入らなかった本もあったけど、読書で得たものは本当に大きい。ただ、物理学科にはドストエフスキーやサン=テグジュペリやサガンを読んでる人なんて全然いなくて、読書の趣味を共有できる人がいなくてさびしい思いをした。

1年次の専門の勉強は、これから物理をやっていく上で不便がないように数学ばかり勉強してた。具体的には、微積分・線形代数・微分方程式・ベクトル解析。選択の講義では確率論を学んだけど、結局、物理じゃ1度もお目にかからなかったなぁ。今思えば、「専門書の読み方」がまだ身についていなくて変に空回りしていたこともあった。でも、なれない微積分を使いながら太陽系の惑星の軌道が楕円になることをちゃんと証明できたときはとても興奮した。

2年次の前期では複素解析を学んだ。難しい実積分が複素積分を用いて簡単に求まるのが楽しかった。後々、数学科の「複素関数論続論」を履修して、リーマンの写像定理を習ったり、複素数の世界の広さを知りました。解析力学を学んで、古典論の美しさに感動したり、充実した毎日を過ごす一方で、学習の効率の悪さに悩むこともあった。けど、時間をかけてでもちゃんと理解することが大事だと思い知らされることも多かった。この頃からランダウの「力学」とかを読むようになる。後期になると熱力学にどっぷりはまった。このころ、座標系に依らない量子力学は構築できてないっていうような話を聞いて関心を持った。



3年次の前期は課外活動に明け暮れ、まともに勉強しなかった。後期になると、友達とゼミをひらいたり、院試の勉強をはじめたり、忙しい日々を過ごした。量子力学の講義はクライマックスを迎えていて、私たちの素朴な世界観が量子力学を以て否定される様はまさに圧巻だった(ものすごい中二病をガチで学問としてできるなんて物理学科にいる私たちはすごく幸せだと思った。あんな感動は人生で数回しか味わえないと思う)。統計力学では宇宙背景放射の話やBEC現象が2次元系で生じないことなどに感動して、とにかくこの頃に学んだことの何もかもがとてもおもしろかった。

研究室の選択に際しては自分の能力じゃ理論でやっていけないのではないかとか、理論じゃ就職できないんじゃないかとか、いろいろ思うところがあって悩んだけれども、学部4年で理論をやってみてセンスがなければ院から実験にすればいいやと思って、理論にしようと決意。でも、宇宙論やら素粒子論できるほど賢い自信はないからと、卒研は物性理論に。

学生に厳しいことで世界的に有名な先生のゼミをわざわざ選び、ゼミと卒研に追われる毎日。理論系の学生は暇なんだろ~とか言われるけど、私は1年間通して、研究室に行かなかった日は院試と病気を含めて10日前後だったと思う。家が遠くて通学時間がもったいないから、研究室にはしょっちゅう泊まってた。中間発表前なんて7日ぐらい帰れなかった。でも寝る前に物理を学友と語った毎日は本当に充実してたと思う。

教授陣には罵倒される日々は恐怖だったけど、いろいろな免疫はついたなぁと振り返る。なんとか第一志望の外部の大学院には受かったっけど、結局、1年かけても研究っぽい研究はそんなにできなかったし、卒業研究のテーマも大した結果はでなかった。そう思うと修士での2年が不安だけれども、研究発表会の練習を通して、それなりのプレゼン力が培えたし、1年かけて必死に学習したものも多いので、そういう経験と知識が大学院でも活きてくれるといいなぁ。

物理学科に来て、好奇心を刺激される多くのものに出会えて、それを多くの学友と共有できたことは、本当に幸せだと思う。

2016年2月7日日曜日

レ・ミゼラブル(角川文庫)―ヴィクトル・ユゴー

読み継がれるべきだと強く信じられる古典がある。

レ・ミゼラブルはそんな小説の代表に思える。

人の価値観は時代と共に変わっていく。だから人の胸に響く小説というのも時代に応じて変わっていく。それは極めて自然なことである。ただ、事、この小説においては時代を問わず、人間が人間としての本質を見失わない限り、永遠に読まれ続けるのではないか。

つまるところ、この小説に人間が胸をうたれなくなる時代が来たとしたら、それは人間が人間でなくなったときでさえあるような気さえするのだ。

私は2012年のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』ではじめてこの物語と出会った。一緒に映画を観た人が帰りに「ジャンヴァルジャンのように生きてみたいものね」と言ったのが記憶に残ってる。

でも、ジャンヴァルジャンのように生きるのはとても難しい。

貴方の家に前科者の浮浪者が突然やってきたとして自分の家に泊めてあげられるだろうか。
誰かが自分の代わりに終身刑を言い渡される瞬間に、自分が当人だと言い出せるだろうか。

自分は旅先の途上国の路上で商売をしている貧困の底にいるような少年に、値切って値切って値切りまくって、始めの価格の1/3の値段でチェスボードを買ってその話を自慢げに他人にする人間なんだ。そういう自分を見つめ直させられる。

それにしても、ああ無情、なんていいタイトルなんだ。




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2016年1月23日土曜日

銀河鉄道の夜 (角川文庫) - 宮沢 賢治


古本屋で見つけた短編集。

裏表紙には「いのちを持つものすべての胸に響く名作」とあるけど、僕にはそんなに響いてこなかった。

あんまりスラスラ読める内容じゃなかった。文章のいたることで植物や虫、鉱石、天体や鳥の名前が出てくるんだけど、その度に脚注を読んで、「おきなぐさとは、植物の名前なのか」「蜂すずめとはハチドリなのか」などと理解しなければならない。そういうこともあって、なかなか詩的な表現を楽しめなかったのもあるかもしれない。

この短編集を読んで一番思ったことは、「僕はぜんぜん自然のことしらないんだなぁ」に尽きる。文明の中にくらしていたって、あちこちに花や昆虫や鳥を見かける機会があるはずなのに、そういった自然に興味をぜんぜんもってこなかったんだなぁと。

もっと電車の窓から見える景色に関心を持とうと思った。



ちなみに、『よだかの星』はちょっとだけ涙腺を刺激される。収録作の中で一番好き。



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第24回アクチュアリーセミナーに行ってきました。

毎年、東京で行われている(らしい)アクチュアリーセミナーに行ってきました。

金曜日から土曜の明け方までは研究室でTBモデルのハミルトン行列を出力するプログラムを一生懸命つくり、午前10時ごろまで寝て、そこから電車で行きました。

あんまりアクチュアリーのことは知らないのですが、
「数学が使えるらしい仕事らしい」「物理学科卒でも採用してくれるらしい」「勉強が好きな人に向いているらしい」という噂をききつけ、とりあえずセミナーに参加してみました。


月島駅につくと、綺麗なオフィス。華麗なビルディング!

こんなところで働きたいなーとかは思う。


まぁ、懇親会とかで色んな人と話してみたのですが、ほとんど数学科の院生だし、公演者もことごとく数学専攻出身でいろいろと場違いな感じはしなくはなかったのですが、役に立つ話が沢山きけました。業務内容についてめっちゃ詳細に知っている学生が数人居て少し気後れしました(僕は、年金・損保・生保の業務もろくに知らずに参加しました。『信託銀行ってなんやねん!』ってレベル)。

現役のアクチュアリーの皆さんによると、僕が期待していたほどがりがり数学を使う仕事ではないらしいのでちょっと残念。

ちなみに一番印象に残っているのは「アクチュアリーは、数理の専門家であると同時に説明の専門家じゃないといけない」という現役アクチュアリーの台詞。まぁ、たしかにそうだよなぁ、とか思いつつもプレゼンが下手な公演者もちらほら居ました。アクチュアリーの仕事内容を"ちゃんと"調べてきてない人に優しくない公演もありましたね。

もっとマンガを入れれば分かりやすいのに文字ばっかり並べたスライドでプレゼンしてる人も居たしなぁ。

ご清聴スライドとか見るとアレルギーを感じてしまうのはやっぱり学科病なのかもしれない。




ちなみに私はジーンズにセーターというかなりラフな格好で行きましたがなにも問題なかったです。半数ぐらいはラフな格好していました。

びしっと就活スーツを着て背筋をめっちゃ正して必死にメモをとってる人も沢山いましたが、なんだか気持ち悪いなぁと思ってしまう。あれは礼儀だのマナーだの通り越してアピール入ってるよなぁとか思いつつも、僕も就活の時期になったらあんな風になるのかなぁとか思ってげんなり。

2016年1月19日火曜日

リレキショ (河出文庫) - 中村 航

リレキショ

中村航の小説には不思議な魅力がある。

難しい本を読んだ後の癒しに、よく中村航の作品を読む。 相変わらず本当に凄い感性の持ち主だなあと思う。『どこ2』とか、『55パーセントくらいの半月』とか、『ウルシバラ』とか、そういう思い付きはどこから出てくるんだろう。優しくて素朴な言葉たち。本当に好きだ。静寂の表現も凄くうまい。

ほんのわずかな描写で、深夜のガソリンスタンドの静けさと、原付のエンジンの音がちゃんとイメージできる。負の感情を抱く場面が全くないあたたかい物語。

リレキショ (河出文庫)
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中村航の思い出


 高校生の時に『ヴィレッジヴァンガード』に置いてあった『100回泣くこと』を読んで中村航が好きになった。病気で彼女が死んでしまう「よくある恋物語」は好きじゃないんだけど、『100回泣くこと』は表紙の絵がすごく好きで思わず買ってしまった。高校生の当時、お小遣いはわずかで文庫本1冊買うのも結構なためらいがあったけど、躊躇せずに買って今では本当に良かったと思ってる。

 『100回泣くこと』の中では当時、受験勉強で使っていた教材が出てきたのが嬉しかったり、馬力のくだりでニヤニヤしたり。ラストは山手線の中で読みながら激しく泣いてしまった。僕みたいな高校生が電車で小説を読みながらボロボロ泣いている様は異様だろうな。
今でも忘れられないフレーズが沢山あって、その優しい文章で強い印象を受けた不思議な小説。
それにしても、この手の話で「よくある恋物語」的な安っぽさが一切でてこないのは本当にすごいなぁ。

この小説で中村航が気になって、中村航の公式ホームページを見て「反省文に感動された」って書いてあったのが衝撃的だった。自分もいつか反省文を書く日がきたら中村航みたいに感動させる反省文を書きたいって思ったのも思い出。それにしても中村航はどんな反省文を書いたんだろう。

**

いま、自分の本棚には中村航の文庫が6冊ある。
『100回泣くこと』
『僕の好きな人がよく眠れますように』
『あなたがここにいて欲しい』
『絶対最強の恋のうた』
『夏休み』 そして先週読み終わった『リレキショ』。 

たった6冊だけれども、同一作者の本でこんなにたくさんもっているのは、ドストエフスキーと綿矢りさぐらい。まぁ、ファンを名乗るにはもっと中村航を読んでからにしろと言われそうだけど・・・。

改めて眺めてみると、どれも表紙がいい。タイトルもいいよね。あの表紙の綺麗な絵とタイトルで衝動的に買っちゃう人は多いと思う。

中村航の作品には本当によく癒される。優しい言葉づかいと、素朴なキャラクターたちで、読み終わった後は本当に、体から汚いものが全部でていってくれたような錯覚に陥る。メッセージ性を求めたり、幸せな日常の描写に「だから何?」って思う人には向かないけど、僕の好きな作家です。

2016年1月14日木曜日

月と六ペンス (新潮文庫) -モーム

やっぱり、長く読まれている作品にはあたりが多い。古典はすばらしい。読書を続けていると、時たま、こういう小説に出くわすからやめられない。

いたるところに人生や青春、人間の真理が散りばめられた小説。深い。唸らざるを得ない名文だらけ。愛すべき多くの登場人物たちの個性も輝いている。

それにしても、何かに情熱をささげている人間って言うのは本当に魅力的だ。

ところで、月と六ペンスってどういう意味なんだろう。タイトルの意味は最後まで分からなかったなぁ。


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2016年1月11日月曜日

独裁者と小さな孫 感想

つまらない映画を観てしまった。

この映画を観て一番驚いたのは、どういう訳かこの映画の巷の評価がそこそこ高いこと。

僕にとっては、ただただ悲痛な場面を並べて音楽を流せば映画ができると勘違いしている人がつくった安っぽい映画なんだけどね。

この映画の安っぽさの元凶は終始、どいつもこいつも口に出さなくてもいいことをわざわざ全部、台詞にしてしまうこと。大統領をいかに憎んでいるかなんていうのは言葉にしなくても拷問の傷痕だけ見せれば十分に分かるのにわざわざ台詞にしてしまう。あの子どもが昔の生活に戻りたいことなんて、わざわざ言わせなくてもいいのに。だいたい「マリアマリア」うるさいんだよね。あの子が喋る度に終始イライラしてた。

拷問を経て帰宅した旦那が自殺した後のお葬式の場面なんて、あんなに激しくむせび泣くせいで、逆にこっちが冷静になってしまう。

意味不明なシーンも多くて、疲れた。なんで隠れて納屋にいるのにのんきに声をだしてギターまで弾いて大声で泣いて見つからないのかも不思議だし、国民にそこまで憎まれる大統領ならバイクを盗んだ時にバイクの持ち主は口封じに殺すくらいは残酷だと思うし、レイプされたあとの女性ってあんなに元気か?元帥の裏切りも意味不明。大統領殺す気ならもうちょっと上手くやるべきだよなぁ。

「考えさせられる」とか「胸に訴えるものがある」とかっていう評価は僕にはまったく分からない。ラストもものすごくダサい。あんな状況で処刑を止める人間が居たらその人も一緒に殺されちゃうんじゃないの?血祭りにするシーンも、銃殺→絞首刑→火あぶりって行き当たりばったりだし、あんな焚火じゃとうてい人は焼けないよ。最後の「民主主義のために躍らせろ」的な台詞も意味不明だしね。

まぁ、「寓話仕立て」で納得するしかないかもしれない。リアル無視のそーゆー映画なんだって思えれば楽しめたのかもしれない。真面目に見ようとしたがゆえに楽しめなかったのかもしれない。

カダフィー大佐の最期とか、ルーマニアの革命を思い出したりはしたけど、ぜんぜんおもしろくもない映画だった。

ただ、いくつかいいなって思えるカットはあった。孫が停電させて喜んでいる場面とか、カカシの場面とか、ポスターになっている場面とか、大統領が銃を川に捨てる場面とかね。それこそ5年ぶりに妻と再会した男が絶望している顔を長回ししているところはなかなか迫るものがあった(直後のお葬式の場面で台無し)。


2016年1月10日日曜日

読書量を冊数ではかる人を見るとうんざりする。

読書量を冊数ではかる人を見るとうんざりする。

「アメリカの大学生は1年間に○○冊も本を読む!」とか、「最近の日本人は年に○○冊しか本を読まない」とか、そういう記述に腹が立つ。

月に5冊読む人と、10冊読む人では、10冊読んでいる人のほうが偉いと勘違いしている人をたまに見る。そういう人って、本当に読書をしているのだろうかと疑問に思う。

読書を続けていれば、いろいろな本に出会う。字を眺めているだけですらすらと内容が頭に入ってくる本もあれば、紙とペンを使って整理しなければ読みすすめられない本もある。分厚い本、薄い本、新書、小説、詩集、どれを読んでる人が偉いとか、そんなことには興味がないけど、読むのに時間がかかるものもあればそうでないものもあるのに、読書量を一概に冊数ではかるなんてどうかしてる。

大切なことは、読んだ本の多さではなくて、どれだけ深く本と向き合ったかだと思う。それは、冊数や読書時間だけでは決してはかれないものだと思う。

2016年1月8日金曜日

保存量どうしの交換量が保存量になる証明



演算子$A$について$A$がハミルトニアン$H$と可換であれば、ハイゼンベルグ方程式

\begin{eqnarray*}
\frac{dA(t)}{dt}=-\frac{i}{\hbar} [A(t),H]
\end{eqnarray*}

より、物理量$A$は時間変化しない保存量となる。$A,B$が$H$と可換であるとき、ヤコビ恒等式

\begin{eqnarray*}
[A,[B,H]]+[B,[H,A]]+[H,[A,B]]=0
\end{eqnarray*}

より、

\begin{eqnarray*}
[H,[A,B]]=-[A,[B,H]]-[B,[H,A]]=0
\end{eqnarray*}

なので、保存量どうしの交換子は保存量になることが分かる。

ティファニーで朝食を (新潮文庫) -トルーマン カポーティ

文のリズムが本当に魅力的。訳書でそう思わせてくれるなんて大した翻訳技術だと思うなぁ。あとがきにもあるけど、「ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング」って本当に耳に残る不思議な響きがあるよね。

物語自体にわくわくしたりはしないけど、とりわけホリーに心踊らされると思う。誰かがホリーを"キラキラしている女性"と言ってたけど本当にその通りだと思う。ホリーの言っていた「野生の生き物にいったん心を注いだら、あなたは空を見上げて人生を贈ることになる」っていう部分が凄く印象に残ってる。

最後にはいろいろと窮地に立たされるホリーだけど、それでいても彼女らしさを失わないのも、やっぱり多くの女性がホリーに憧れる理由の一つなんだろうな。猫のくだりにその時その時の感情に正直に生きているホリーの性格が凄く表れていると思った。

映画も見てみようと思った。けど、まずはあのホリーがおすすめしてる『嵐が丘』を読んでみよう。

他の人のブックレビューでは、この本に載っている『ダイアモンドのギター』という短編の方が良かったという声もある。この話もなかなか面白かった。『花盛りの家』も好き。

どの物語も、登場人物が本当に素朴でとても素敵だった。


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2016年1月7日木曜日

Hφ=Eφ⇒H^nφ=E^nφの証明

$H\varphi=E\varphi$ であるとき $H^{n} \varphi = E^n \varphi$ が成り立つことの証明

$ H^n \varphi = H^{n-1} H \varphi = H^{n-1}E\varphi=EH^{n-2}H\varphi = \cdots = E^n \varphi$

おもしろかったのでメモ。

2016年1月6日水曜日

旅のラゴス (新潮文庫) -筒井 康隆


おもしろかった!
久々に心踊る物語に出会えた。不思議なおとぎ話を読んだ時のような気持ちになるのはなぜだろう。

前半は少し退屈だけど、それもこの世界観に馴染むためには仕方ない。
はじめのうちは超能力を手にいれてもなお愚かさを捨てきれない人類の滅亡を説く教訓めいた物語かと思ってたけど、もっと素朴な「いい話」だった。まぁ、教訓的なエピソードも沢山あるにはあるけど、それはこの物語の主役ではないと思う。

壁抜け芸人の失敗はこの上なく滑稽…。ヨーマとデーデのその後は凄く気になる。旅の途中でいろいろな人間や文化が登場していてそれもまたおもしろい。

60才を越しても何かに焦がれ青春を忘れないラゴスは本当にかっこいい。長い間に奴隷になりながらも、旅の目的を忘れなかったラゴスの強い意志や、人類の熟度に応じて知識を教授する深い思慮には感嘆する。

さあ、ラゴスを見習ってもっと貪欲に読書をしよう、旅をしよう、人生を生きよう。

それにしてもラゴス、モテすぎ。

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2016年1月4日月曜日

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)-中村 文則

こういう本を書くのは難しい。とはいえ、やっぱりこの本には「何かの二番煎じ」という印象しかもてなかった。確かに話のプロットにはとても引き込まれるし、凄い閉塞感を感じさせてくれる小説ではあった。だけど、なんだか露骨すぎるがゆえにリアリティーを感じなかった。あくまで空想、あくまで物語、現実味を帯びて自分に迫ってくるものはなかった。

だいたいテキストを太字にするのってどうなんだろう。保守的と言われるかもしれないけど、インパクトを与えたい部分を太字にするなんていう小細工を使って恥ずかしくないのだろうか、悔しくないのだろうか、と思ってしまった。本文を太字にするなんていうのは、語尾に♪をつけたり、顔文字を多用する携帯小説の技法の何も変わらない気がする。本文の中で芸術について熱く述べられている部分があるけど、文学という芸術にはそんな誤魔化しなしに挑んでほしかった。 

全体的に読みにくく、誰がどの台詞を言っているのかを把握するまでに時間がかかったりでイライラした。もう中村文則の本は読まないだろう。 

とは言え、本文の中で語られている「マスコミが騒げば死刑」「騒がなければ無期懲役」の話なんていうのは考えさせられる。僕が最も共感した人物は刑務所の主任だった。死刑制度を絶対的で明瞭なものにしたいけれども、死刑なんてものは人間が扱える代物ではなく、矛盾ができてしまう、そういうところに苦しんでいる主任にはなんとなく共感できる気がする。「こんなことのために柔道をやってきたわけじゃない」っていう部分が一番好きかも知れない。

自殺した真下のノートに書いてあるような感情は、誰もが一度は抱くと信じたい。でもそれは、大人になるにつれて、この世界になじむにつれて忘れていく。誰かが、ああいうノートに何かを嘆いていても昔のことなんてとっくに忘れて「思春期」「反抗期」「中二病」って言葉で片付けちゃうのではないだろうか。それがまた真下のような人を傷つけていく。 

又吉の紹介が帯にあったから買ってみたけれども、やっぱり好みは人それぞれなんだろうな。又吉の解説もおもしろかったけど、最後の一文でなんだか急に陳腐になってしまって残念。本のあらすじには「生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説」とあるけれども、真摯というよりは「露骨に向き合った小説」というのが正しいのではないだろうか。


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2016年1月2日土曜日

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)-スティーヴン キング



刑務所のリタ・ヘイワース

アンディの不屈さ、自分を見失わずに生きる姿、自由への渇望に震えたたされる。絶望してはいけない、希望を捨ててはいけない。そんなことを教えてくれる素敵な話。

ゴールデンボーイ

問題作っていう言葉は、こういう作品に使うものなんだろうな。今でこそ堂々と出版できるけれど、大戦直後だったらどうだろう。まともな少年が徐々に老人に侵食されていく様は、なんというか、えげつなささえ感じる。てっきり、収容所時代の悪行を悔いる老人と素朴な13才の少年の友情の物語かと思っていたら、全然そんなことなかった。全然そんな生ぬるい話じゃなかった!

少年が初めて人を殺すシーンに読者は恐ろしさを感じても、「衝撃」を覚えることはないと思う。そのころには少年の凶行には、どういう訳かある程度の「自然さ」が伴っていて、幾分かの「理解」がある。私たちはニュースで未成年者が意味もなく人を殺したと聞けば首をかしげるのに、この小説ではその衝動に幾分かまっとうさを感じてしまうから不気味なのだ。

容赦のない物語。オススメ。

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